第6章・児玉源太郎「指導者の鑑(かがみ)」①

たとえば、昭和二十年(一九四五)三月十日の東京大空襲。本当は、あそこで戦争を終わらせるべきだったんじゃないでしょうか。

私はすでに満州(まんしゅう)に出征していましたが、家内はあの空襲を経験しています。聞けば、雨あられと降ってくる焼夷弾(しょういだん)の恐怖に耐えきれず、正気を失ってさ迷い歩く哀れな人も大勢いたとか。家内自身、自分一人を狙(ねら)って機銃掃射を浴びせてくる戦闘機から逃げて逃げて逃げまくり、やっとのことで桐(きり)の木の陰に隠れて命拾いをしたそうです。飛行士のかけている眼鏡まではっきり見えたというんですから、その恐怖たるや想像を絶するものがありますね。

そこまで一方的に首都を攻撃されたのですから、誰が見たって日本の敗北は明らかです。しかし日本が敗戦を受け入れたのは、それから五ヶ月後のことでした。あそこで白旗を掲げていたら、ひめゆり部隊の悲劇も、広島・長崎の原爆も、中国残留孤児もなかったでしょう。もちろん、私たちのシベリア抑留もなかったのです。

三月十日で終わらせられなかったのなら、その二ヶ月後、ドイツが降伏した五月八日というタイミングもありました。いずれにせよ、あの戦争を八月十五日まで続けてしまったのは、戦争の幕の引き方としてはお粗末だったとしか言いようがありません。


【コメント】

では、この続きは来週金曜日に更新いたします。