そして、玄順に桜町仕法の説明をしたので、彼は感激をして江戸に在府の細川親子に報告をしました。やがて十年間の出納簿を携(たずさ)えて桜町を訪れると、先生が言いました。
「玄順様、あなた様は本当に誠実なお方です。これらを拝見して私が細川家再興の仕法書を書くことは簡単でございます。が、失礼ながらあなた様の公職は医者でいらっしゃいます。御典医としてお働きになることは当然ながらも、この問題は国家老(くにがろう)をはじめとする担当の役職方がなさるべき仕事です。このこと、どうか改めて細川侯へ言上してください」
これを聞いて玄順は畳に手をつき、涙をぽろぽろこぼしました。事の善悪と組織の仕事を行なう上での役割について、親が幼子(おさなご)に諭(さと)すような、先生の暖かいお言葉です。
悦(よろこ)び勇(いさ)んで、玄順は江戸へ。やがて、細川家の財政は健全に建て直され、この噂は噂を呼んで関東地方の村々へと伝わり、村興(むらおこ)し運動が広がってゆきました。数えてみると、全国六百ヶ村がこの報徳仕法によって立ち直りました。
【コメント】
次回は、福島相馬藩の立て直しです。
また来週金曜日に更新いたします!