第4章・平清盛 「血で血を洗う源氏の悲劇」③

頼朝が清盛のような広い視野を持てず、この渦(うず)の中で自らの保身に汲々(きゅうきゅう)としていたのも無理はありません。

鎌倉幕府を開いてからも、源氏の内紛は続きました。三代将軍実朝(さねとも)を鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)で暗殺したのは、二代将軍頼家(よりいえ)の子(実朝の甥(おい))の公暁(くぎょう)という人です。北条義時(ほうじょうよしとき)に「次はおまえを将軍にしてやる」とそそのかされて叔父を殺した公暁は、その義時に殺されてしまいました。

こんな調子ですから、身内の中にも源氏の荒々しい気風にうんざりしていた人がいたようですね。頼朝の妻・政子(まさこ)がそうです。あまりに生臭(なまぐさ)い内粉に嫌気がさした政子は「私が死んだら平政子として弔(とむら)ってください」と遺言していました。政子は北条時政の娘で、北条氏はもともと平家一門ですから、そちら側の人間としてあの世に往(い)きたかったわけです。そういえば今も彼女は北条政子と呼ばれ、誰も源政子とは呼びません。政子さんも、あの世でほっとしているのではないでしょうか。


【コメント】

「へー、そうだったんだ…」ですよね。
はい、では、来週また金曜日に更新いたします。
残暑が続いておりますので、ご自愛くださいませ!!