清盛が情け深い、大きな心の持ち主であった例として知られるのは、平治(へいじ)の乱でクーデターに失敗した源義朝(よしとも)が殺されたとき、本来ならその息子である頼朝も十三歳で殺される運命にあったのですが、清盛が許した話です。
捕らえた頼朝に対して池禅尼(いけのぜんに)が、まだ幼さの残る頼朝を不憫(ふびん)に思い、命だけは助けるよう清盛に懇願しました。池禅尼は、忠盛の後妻です。つまり清盛にとっては継母。その申し出を拒(こば)めないあたりが清盛の人柄ですね。
それで死を免(まぬか)れた頼朝は伊豆に流刑となり、平家追討を促(うなが)す以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)を受けて三十四歳で挙兵するまで、二十年にわたって幽閉生活を送っていたわけです。このとき、清盛が真に冷血漢であったとしたら、若き頼朝は殺され、のちの伊豆・石橋(いしばし)山の旗上げもなかったことになりますね。
【コメント】
三波春夫は、清盛の人柄を描いた長編歌謡浪曲『神戸を拓く清盛』を作り、また頼朝の挙兵については『頼朝旗揚げ』という歌を作り、歌い語っております。
CD3枚組アルバム「平家物語」に収録されていますが、このアルバムをお聴きになるだけで、この時代に繰り広げられた平家と源氏の人間ドラマに詳しくなれます。
ではまた、この続きは来週金曜日に更新致します!