第4章・平清盛 「天皇の落とし胤(だね)」⑤

 清盛が白河法皇の落とし胤だというのは、当時、公然の秘密でした。ですから、清盛がふつうでは考えられないようなスピードで出世しても、誰もおかしいとは思いません。なにしろ清盛は、十二歳の若さで従五位下左兵衛(じゆごいのげさひょうえのすけ)に任じられ、さらに十八歳のときには、父忠盛の海賊討伐に対する恩賞として従四位下にまで出世しているのです。といっても何だかピンと来ないかもしれませんが、当時、武士の子弟がこれほどの早さで出世することはあり得ませんでした。天皇家の血筋を引いていると考えなければ、どう考えても説明がつかないのです。

 そういう出自ですから、清盛の体には生まれながらにして政治家の血が流れていました。もちろん、自らの権力欲を満たすことしか考えていない頼朝のような政治家とは違います。清盛は心から天下のことを憂い、何とかして日本という国を豊かにしたいと願っていました。


【コメント】

この続きはまた、来週金曜日に更新いたします!

ちなみに、明日6月15日は「三波春夫」のデビュー記念日です。
今から67年前の1957(昭和32)年、A面『チャンチキおけさ』B面『船方さんよ』でデビュー。両曲とも大ヒットでスターダムに駆け登ったのでした…。