清盛の政治を悪政と決めつける学者もいますが、どうも無理やり悪いところを探しているような気がしますね。たとえば当時の京都では、飢(う)えて亡(な)くなる人々が大勢いました。三条河原や四条河原には痩(や)せ細った人々がたむろしていたそうです。
でも、それが清盛のせいかというと、けっしてそんなことはありません。たしかに餓死者が続出したのは不幸なことですが、飢饉(ききん)というのは天災ですから、政治家一人の力ではどうにもならない面があると思うのです。
また、清盛が娘の徳子(とくこ)(建礼門院(けんれいもんいん))を高倉(たかくら)天皇に嫁(とつ)がせ、ようやく生まれた安徳(あんとく)天皇の外祖父として権力を振るったことを問題にする人もいます。これは清盛が、摂関(せっかん)藤原家が代々やってきた方法を踏襲するのが、やり方としてはいちばん穏(おだ)やかだと判断しただけのこと。それがいけないというなら、藤原不比等(ふひと)以来ずっと続いてきた藤原家の婚姻政策を批判しなければいけません。それとも、貴族ならかまわないけれど、武士はいけないとでも言うのでしょうか。
【コメント】
次回は、より明確な理由の著述のご紹介です。
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