「黒田さんも大久保さんも、先の見えるお人だと私ぁ感心していますよ。そもそも大久保さんが私を海軍卿にと言いなすったのも、ロシア艦隊の横浜入りと天皇さんの行幸については勝以外にゃ責任を果たせないとの考えだってのははっきりと分かった。そして、ロシアとの領土問題を片づけるために釜次郎を使うという狙(ねら)いがあったことも分かっておりやんした」と勝は、居ずまいを正し、黒田の目をじっと見つめて、こう続けます。
「黒田さん、この条約だけはなんとしてもやり遂げなきゃならねえ。私と同じ時に阿部(あべ)老中に抜擢(ばつてき)された勘定奉行・川路聖謨(かわじとしあきら)が、安政(あんせい)元年の三月にアメリカと和親条約を、十二月二十一日にはロシアとも結ぶ責任者となったわけだが、このとき日本人が初めて結んだ国際条約が後になって不平等条約と分かり、お前さんたちの尊皇攘夷の的(まと)ともなって、井伊(いい)大老が桜田門外で暗殺された。あれは万延(まんえん)元年三月三日でしたね。気の毒に、川路さんは、イギリスや、オランダとの条約にも関わっていなすったからいたく悩んでおりやんした。ロシア人やアメリカ人は川路聖謨を武士の鑑(かがみ)だと評価したそうだが、私が西郷さんと江戸城開け渡しを決めた三月十五日、ピストルで自殺した。徳川二百八十年の幕引きをした勝にとっちゃ首に刀を当てられたほどつらいもんでござんした。人になんとけなされようと、外国との条約は、川路のためにも立派なものに代えなきゃならねえと思っていた」
【コメント】
長編歌謡浪曲「勝海舟」で、三波春夫は海舟となってセリフを語っていますが、江戸弁をよく表現していて、良いものでした。まだの方は、どうぞ一度お聞きになってみてくださいませ。
本日のセリフも、語ったところを聞いてみたかった~、です。
ではまた、来週金曜日に更新いたします!