第5章・二宮尊徳「真の金融機関とは」②

「さらにまた、十両借りたいと言う人には二十両貸す。そしてその余分の十両で田地を買わせれば、そこから出る利益によって十年後の返済も難なく行なわれる。自ら貸し、自ら取るという風にすれば、貧を救う道はあるものです」

尊徳先生の講では、金を借りたい人は理由を書いて仲間に説明をするのですが、他にも借りたい人がいた場合は皆で「入れ札」、つまり投票制で貸し出し先を決定します。ですから借りるほうは真剣です。

江戸時代の商人の誓約書に「私儀、之に違(たが)う時は万座の中において笑われても致し方なく候」と書いたといいます。人に嗤(わら)われることが男子一生の恥とされていた時代ならではの誓約ですが、この講でもおそらくこうした誓約書を書いたことでしょう。

十年借りて二両の利息は常識でしたが、その上に、「お陰さまで儲(もう)かりました」と五両の礼金を差し出せば、喜ぶ仲間こそあれ、笑う人はおりません。そうすることができれば、その人は自分の男を上げられるし、皆に喜んでもらえる。これはどんなに嬉しいことでしょう。尊徳先生の考えた講こそ、金融機関の鑑(かがみ)と申せましょう。

先生の講での利率が、最近の報徳一円融合会(注2)の機関誌上に載(の)っていました。それによると「十両を十年借りて返済時に十二両返す、その場合の年利息は〇〇二九二三。七両を七年では〇〇四二三九、五年では……」と、ありました。今から考えても、ひじょうに低い利率であったことが分かります。

(注2)一円融合会とは、小田原市南町報徳博物館にある尊徳研究機関。
   主宰者は佐々井典比古氏。【執筆の2000年当時】


【コメント】

社会における人の生き方も書いてありましたが、今を考えてみて、法令以前の常識的な事の善悪、人の行いの良し悪しをシッカリと判断出来る社会を保ちたいものだ、と思いました…。
ではまた、来週金曜日に更新致します。