第5章・二宮尊徳「尊徳流「村興し」が全国へ」④

遠く福島県の相馬(そうま)藩からも依頼が来ましたが、実は相馬に先生の高弟の一人、富田高慶(とみたたかよし)がいた関係で、藩主から命令が出されたのです。この時、相馬藩の出納簿を見せてくれと言った先生に、藩はなんと百五十年間のバランスシートを提出したそうです。先生はにっこりと微笑(ほほえ)んで言われました。

「おお、これだけの物を勘定奉行が持っておいでならば、復興は必ずやなりましょう」

と言ったとか。何よりも具体的な数字、つまり事実を重んじる尊徳先生ならではの言葉です。百五十年分の帳簿が残されているというのは、それだけでも立派な財産だということです。

ところで、このとき藩主であった相馬充胤(みつたね)が明治十三年十月に明治天皇に上表書を呈上したことがあります。

「私どもの藩が田野(でんや)荒廃し借財困苦の状態の時に、二宮尊徳のお教えに従って復興したがゆえに、明治の御代(みよ)を迎えることができました。陛下は至尊(しそん)の大君(おおきみ)。この美徳をご見分(けんぶん)くだされますように」という内容を天皇に申し上げたところ、明治天皇は親しく『報徳記』という六巻の本をご覧になって、「この本はいかなる書物にも優れたものである」とおっしゃったそうです。


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