第5章・二宮尊徳「あくまでも合理的、緻密」③

そして、事業を進めるとともに、良い行ないをした村人を表彰し、信賞必罰を実践しました。たとえば親孝行な人や誠実な農民を見つけて「どうか、これからも人々の手本になるように頑張ってください」と藩主の名前で表彰した。一所懸命やれば認められるとなれば、村全体の勤労意欲も高まります。そうやってよい風を吹かせていくことで、復興に励む雰囲気(ふんいき)作りを行なったのでしょう。経済の復興には、まず人心の復興が第一・・・・・・その真理を実践したのです。

さて、話は前後しますが、桜町に赴(おもむ)く金次郎の傍(かたわ)らには波子(なみこ)夫人の姿がありました。

実は、初婚の妻きのは、夫のことを理解できる人ではなかったようで、長男が生後まもなく亡くなったことをきっかけに離縁を願い出ました。それは気の毒と家老の服部が、奉公に来ていた十六歳の波子を薦(すす)めて結婚させたのですが、十六歳の年の差ながら内助の功は目覚ましく、添(そ)い遂(と)げられて明治四年に六十七歳で世を去られました。

この旅立ちの時、嫡男弥太郎(ちゃくなんやたろう)は二歳でした。田畑は三町八反にもなっており、家や家財を売った金が七十二両。さらに、五常講などの金が三十両もありましたから、かれこれ百両ほどのお金を持って出発されたそうです。


【コメント】

このあとは桜町陣屋の復興の話に続きますが、次回は5月16日に更新いたします。

GWなどに大阪・関西万博にお出かけの方もいらっしゃると拝察しますが、落合陽一さんのパビリオン「null2」(ヌルヌル)もご覧頂けましたら幸いです。
三波春夫の『世界の国からこんにちは』が演出として流れますのと、退場時に「お、こう来たか!三波春夫か!?』という演出もございますので、ぜひ!
よろしくお願い致します。