清盛は戦さでもあまり人を殺していません。軍を動かしても、それで敵を叩くというよりは、「逆らうと攻撃するぞ」と威圧するだけで事を収めることが多かったようです。このあたりは、信長よりもむしろ秀吉が似ているといえるかもしれません。
平家打倒の陰謀が発覚して大騒動になった鹿ヶ谷(ししがたに)事件のときもそうでした。一部の首謀者を除いて、清盛はさほど厳しく罰していないのです。
治承(じしょう)元年(一一七七)の六月、東山(ひがしやま)の鹿ヶ谷にある僧・俊寛(しゅんかん)の別荘に、大納言(だいなごん)藤原成親(なりちか)、藤原師光(もろみつ)(西光(さいこう)法師)、平康頼(やすより)といった後白河(ごしらかわ)法皇の側近たちが密かに集まりました。
打倒平氏の密議を行なった彼らは、宴会が始まると酒を注ぐ瓶子(へいじ)を「平氏」に見立ててその首をもぎ取り、大いに気勢を上げていたそうです。
【コメント】
さてどうなりますか。
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