第4章・平清盛 「絶世の美女も惚れた男気とは」②

 さて、平治の乱で捕らえられた頼朝が京都へ連行されたとき、それと入れ違うようにして京の街から出ていったのが、源義経(よしつね)の母親で絶世の美女としても知られる常磐御前(ときわごぜん)でした。夫義朝はすでに殺され、その仇を討とうとした息子義平(よしひら)も捕まって殺されています。その上、頼朝までも連行されてきたのですから、今若(いまわか)、乙若(おとわか)、牛若(うしわか)と義朝の子を三人も産んでい常磐御前としては、生きた心地がしなかったでしょう。京を離れる際、彼女はまず日頃から信心していた清水寺(きよみずでら)に参拝し、夜を徹して子どもたちの安全を祈り続けたといいます。

 その姿に胸を打たれた住職は、

 「しばらく寺に隠れていてはいかがか」

 と言ってくれましたが、常磐御前は、

 「迷惑がかかりますゆえ」

 と断わり、大和(やまと)に住む伯父を頼って、三人の子を連れて落ちていったのです。


【コメント】

常盤御前のこの先は…。
また来週金曜日に更新いたします!